これまでの軌跡
稲城市長(1991年〜)
- 1993年 市長の資産公開条例が可決され市長の資産公開、稲城市は東日本で最初の自治体となる。
- 1995年 稲城市の名前を冠とする稲城大橋、稲城インターが開通し、都心と直結。利便性も飛躍的に拡大する。
- ニュータウン向陽台地区が都市景観大賞建設大臣賞を受賞し、都市美百選に選ばれる。また、青島都知事が来訪し、ニュータウンなどを視察する。
- 1998年 免震構法による市立病院の新棟が290ベットに増床してオープンし、病院ボランティアも募集する。
- 2002年 知的障害者施設「パサージュいなぎ」が入所定員50人、緊急一時保護3人の規模で開設される。また、市内13番目の「もみの木若葉台保育園」が120人定員でオープンする。
- 2003年 14年度の決算で市財政の柔軟度を示す経常収支比率が武蔵野市を抜いて、東京26市で最も良い数値となる。
- 2004年 東洋経済新報社の統計では全国704市の中で、5年間のデータに基づく自治体の成長力ランキングで稲城市が8位となる。(東京都で20位以内は稲城市のみでした)
- 2005年 JR南武線立体交差事業1期工事が完成し、8つの踏切が無くなり78年ぶりに南北分断が解消する。
- 2006年 東日本で初めてとなるPFI方式による稲城市立中央図書館がオープンする。年間345日開館、24時間貸し出し可能で、コストは低くサービスは高くを実現する。
- 2007年 坂浜自治会が管理する上谷戸(かさやと)親水公園にホタルが復活し、平成19年6月には10,000人以上の人が訪れる新名所となる。また公園が国土交通省の「手づくり郷ふるさと土賞」を受賞する。
- 2008年稲城市が発案し正式にスタートさせた「介護支援ボランティア制度」は、最高齢94歳の方を筆頭に登録者が280人を超え、着実に普及する。タイ王国からも視察団が訪れ、全国で制度化が進みつつある。
創世記
青春のメモリアル 鈴木浩平選手と闘う
1997年学生時代最後の秋に、極真会館主催の第九回オープン・トーナメント全日本空手道選手権大会が開催され、128名参加選手の一人として大会に出場しました。一回戦、二回戦ともに判定勝ちし、ベスト32に残り二日目の試合に出場しました。二試合で、すでに体にダメージを受けていましたが、三回戦の対戦相手は鈴木浩平三段で、極真の世界では有名な方で背の小さな人ですが、突きと下段蹴りが強い大先輩でした。自分から突きを出すと顔に当たってしまうため、非常にやりにくい相手でした。判定は私にも旗が一本上がりましたが、負けてしまいました。鈴木浩平選手もダメージを受けており、4回戦は戦うことができませんでした。決勝戦は4回戦で鈴木浩平選手から不戦勝をもぎとった、中山猛夫選手でした。
大会の優勝者は、極真会館早稲田大学支部を創設したわれらが大学の先輩の東孝さんでした。その三年後に、二宮城光氏主催のアメリカ・デンバーで、ニューヨーク組対デンバー組の対抗戦があり、ニューヨーク組の大将として試合に出場し、運よく左上段回し蹴りで、自分より体の大きな選手から一本勝ちをおさめたのを最後に、試合からは遠のきました。(ニューヨークに空手修行で滞在中のこと)
「いなぎの子」40周年展示会
平成25年12月7日稲城市中央図書館体験学習館にて、「いなぎの子」40周年展示会と、集いが行われました。(いなぎの子とは、市内の小学校で行われてきた作文運動で、毎年文集を発行してきました。)その集いの中で、50年前に作文運動のきっかけをつくった小学校5年6年の恩師で、担任でもありました故田宮輝夫先生(日本作文の会常任委員)の思い出話をすることになりました。
当時の作文づくりは、見たことや感じたことをリアルに表現することを中心としていることや、雪の日などは先生と共に学校近くの野や山を駆け巡ったことなど、お話しさせていただきました。その際の資料として私の小学校時代の作文を持っている方がいました。恥ずかしい限りですが、私の個人史として、ホームページに掲載することと致しました。是非ご覧いただければと思います。
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